最近の自分や周囲の方々を見るに、たいへん興味深く感じることがいくつかあります。
肉体や心の”状態を選択”する手段(ヒーリング)は様々あり、私が提供しているバッチフラワーレメディ(こちらは肉体ではなく気持ち、感情の担当です)もそうなのですが、そこから、本当の意味で”卒業”しはじめた方が、少しずつですが、出始めているように思います。
そのツール、アイテムを使うことを忘れることも卒業のひとつですが、忘れたわけではなく、あえて使わないことを選択してそこにある感情とともに体験することをチャレンジしている方がいらしゃるのです。
例えばAさんは、ある事に挑むとき、恐怖や不安による失敗を重ねてきたのでそれに対するバッチフラワーレメディが必須だったそうです。
が、ある時ふと、そう、特に「がんばってみよう」などと発奮したのではなく、「今度は(バッチフラワー)ナシでやってみようかな」と何気なく思いついて、以降、なくてもできるようになったそうです。
また、Bさんは日常的にバッチフラワーレメディを利用しているおひとりで、気持ちが落ち込んだとき、怒に目が眩んだとき、気が散って集中できないとき・・・などなど、呼吸するかのように活用していたのに、あるとき、「もう(バッチを)使わなくてもいいかも?」と、あえてその感情を満喫することにしたそうです。
曰く、地の底まで気持ちを落ち込ませたり、怒りに任せて体を動かしたり(確かお掃除だったと思います)思いっきり泣いたりしてみたそうで、とてもすっきりしたそうです(笑)
ただし、恐怖のあまり反射的にとっていたこと・・・例えば自分に都合悪くなった時に思わず嘘をついていたことについては要課題だそうですが、そこに気づいているなら、もう少しなんじゃないかなあと思っています。
個人的に、ココロやカラダのヒーリング、状態の選択方法にはさまざまありますけれど、それは、そう感じているココロやカラダの体験をナシにすること、なかったことにするのではないように思います。
おそらく、どのような体験もしっかりと味わい尽くすことで主軸に統合されて行くのでしょう。
でも、だからといって今現在、苦しくて、あるいは辛くてどうしようもないのに、何にも誰にも頼るなというものではありません。
大ケガや大病に肉体が苦しんでいるときは、お医者さまにかかってお薬を利用しながら快復に専念するものです。十分に快復したら、以後、大ケガや大病にかかることは避けるでしょうし、いま、お医者さまやお薬に頼るべきかどうかわかるようになるでしょう。そして自分でできることは自分でなんとかするようになるでしょうし、専門家にお願いすべきことはそうするようになるでしょう。
人でも物でもなんでもですが、ずっと頼りっぱなしでもなく、かたくなに頼らずにいるのでもなく。
”自分にとって”ほどよい、ちょうとよい距離感でいれるといいなと思うのです。