幼いころの私にとって、父は「スーパーヒーロー」でした。
そうなりたいオトナの代表で、自分も早く父のような大人になりたくてたまりませんでした。
そして当時の父は、職場に電車通勤をしており、時おり上着のポケットからチラリと見える定期券が当時の私にとっての「オトナ」の象徴でした。
「わたしも早く、定期券が使えるようなオトナになりたい!」
父にねだって期限切れの古い定期券をもらった私は、それを使って「定期券を使う”ごっこ遊び”」を始めました。
改札に立っている駅員さんとのやりとりや改札口を通ること、電車の中の空気、動いている電車ゆれ、車窓の風景、他の乗客のさまなど、五感をフルに使って何度も何度も「ごっこ遊び」を繰り返してはうっとりしていました。
それから何年も経ったある日、通勤電車のなかで私は突然、
「もういや!!!こんなに毎日毎日、朝早くから満員電車で通勤するのは、もう、いや!」
と、思ったとたん、かつての自私の姿を・・・誰に言われてしていたのではない、自ら熱心に「定期券を使うオトナごっこ」をしていたことを思い出し、これは自分が望んでいたことだったのだと気づいて大笑いしたのでした。
以来、定期券生活を卒業しました。
かつての私と今の私と、体験したいことが同じはずはありません。
同じでもいいですけども(笑)
もう十分に体験し尽くしたと思ったなら、自由にまた再設定してもいいのです。
ときどき、自分の中のものをすべて棚卸しして今一番したいことについて意図設定するのもいいよなあと思います。