自分の心身がいま、どういう状態なのかご存じですか?
自分がいったいどんな時に、どんなことでストレス状態になるのか、また、自分がストレス状態になったときどんな言動をとるか知っていますか?
自分がイライラしていることに、気落ちしていることに、姿勢や歩き方がおかしくなってることに気がつかず、周囲に当たり散らしたり、物事をシニカルに捉えたり、寝違いを起こしたり足をくじいたり転んだりしているひとをみかけると、こういうことをどうお伝えしたらいいのかなあと思うのです。
ストレス解消と称して、高価なもの買ったり使ったり、美味しいものを飲んだり食べたり、お友だちとお喋りしたり、コンサートで騒いだり、動画やテレビ、映画、お芝居を視聴したり、スポーツを含めたゲームをするなどはストレスの「深化を中断する行為」で、それ自体は悪いことではありませんが、心身にストレスを抱え込むとなった原因を根本的に解決することにはなりません。
それはまるで、お薬を飲んでとりあえず苦痛を「麻痺」させたことを治ったと勘違いするのと同じです。
つまり、ストレス(痛み)を感じなくなったことはストレスを引き起こした原因を取り除いたことになっていないことに、このままにしていたらまた同じかそれ以上強い痛みに見舞われることになることに、気づいていない、わかっていないことになります。
でもね、痛みを感じさせなくすること、麻痺させることが悪い、いけないのではありません。
痛みが引いているうちに、なぜそのようなことになったのか、どうしたら解消できるのかを検討し、場合によっては専門家の力を借りて、痛みが出るようなことを改めなるチャンスをつくるものですから。
例えば、内蔵疾患由来ではない肩こりや腰痛を改善するには、セラピストの調整(だけ)ではなく、自分が普段からとっている姿勢など生活習慣を見直すことがとても大切です。
なのに、「それがどうした」「今さえよければいい」「とりあえずこの痛みから逃れられればいい」と思うくらい疲れきっていることに、そしてそんなに疲れるようなことをしていることを、おかしい、変な、異常なことだということに、気がつかないか、気がついていても目を逸らしている方をみかけると、私になにができるのかなあと思うのです。
もっと、自分で自分を大切にできないのかなあ(≠ひとさまを粗雑に扱う)と思うのです。
自分で自分を、第一にすること・・・十分に満たしていれば、ひとさまから何かしてもらおうとも思わないし、期待しないし、ひとさまからも当てにされない、過剰に寄りかかられることはないと思うのですよ。
ひとの世話に忙しくて自分のことが何もできないから(自分のことなのに)誰かに何とかしてほしいとか、こんなにつくしているのに誰もわかってくれないとか、大切にされないなどど思うことなくなるでしょう。
ひとさまによいものをお贈りするのなら、自分にも同じかそれ以上のものを贈ってもいいと思うのですよ。
といって、わざわざそんなこと公言しなくてもいいことですしね。
もう少し、ひとさまに向けている関心を自分に向けてみたらいいのになと思うのです。
そしたら、自分に何ができて何ができないのかわかるでしょう。自分には何が必要で何が不要なのかもわかるでしょう。
そしたら、本当に必要なときに必要なだけひとさまのお手伝いができると思うのです。